はなの妊活日記

27歳で結婚した私が41歳で出産するまで

ひとりで顕微授精に挑戦しました

こんにちは。

 

大ちゃんは、新たな任務地へと旅立っていきました。

大ちゃんの新たなことにチャレンジするハツラツとした感じ。

妊活がうまくいかない私とは接点がないくらい心が離れた気がしました。

 

この頃、ヨガのトレーニングに参加していたのですが、自分の心を見つめなおす機会がありました。そこで「繊細になる」「今あるものをありがたく受け取る」という心の変化がなかったら私たち二人は別れていたかもしれません。

 

もう一度、大ちゃんが私にしてくれていたこと、精神的に助けられていたことを感じることが出来ました。

 

結局、私は、子供はあきらめられないし、海外で不妊治療をする気もないので、別居を選びました。

大ちゃんにも素直に自分のことを話したらよく理解してくれて、お互い新しい環境だけど頑張ろうということになりました。

結局、大ちゃんも1か月に一度くらいは日本に出張がありそうだし、私も仕事を辞めて、中東と日本を行ったり来たりの生活をすることで落ち着きました。

 

そして、不妊治療は新たなステージ、顕微授精に進みます。

大ちゃんがいないため精子は冷凍です。フレッシュよりは質が落ちるかもしれないこと、これまで2回の体外受精で7割くらいは受精しているけど、受精率をさらに上げようということで顕微授精をすることになりました。

 

顕微授精と言っても値段が10万ほど上がる以外は、私がすることは変わりません。

毎日、病院に通いHMG注射をうち、採卵の日を待ちます。

 

けれど、始める前からなんか違和感があって、注射をしているうちにそれがどんどん増していきました。その違和感は、大ちゃんがいないのに、顕微授精をすることです。

 

子供って作るものじゃなくて、授かるものなんじゃないか。

 

自分の努力ではどうにもならない部分は医療の力を借りて、妊娠出産することには賛成です。そんな治療がある時代の日本に生まれたこと、自分自身が治療を受けられる環境にあることには感謝していました。

 

ですが、ここでなんだかピュアな部分が出てきてしまい、相手も海外でいないのに、無理やり作っていいものなのだろうか?疑問が膨らんで行きました。

 

そして採卵日。

 

今回は13個採卵できました。

前回の反省から、麻酔を打たれたあとは、自ら進んで眠るようにしました。

ですが、今回は私の肩の近くにいた看護師さんが、「●●個取れましたよ」と実況中継する声が大きく、覚醒してしまいました。

「おーーい。」と心の中で突っ込みを入れました。私の緊張もあったと思うのですが。。。

 

無事に採卵できましたが受精卵になったのは8個。

今回は、直ぐに受精卵をもどすのではなく、初期胚を1つ凍結して、胚盤胞になったらすべて凍結という方法を選びました。(先生におすすめされました)

採卵周期は卵巣刺激で卵巣も腫れるし、子宮を休ませてから移植する方が、着床率が上がるかもしれないということでした。

 

ですが、今回も胚盤胞にならず、初期胚1つの冷凍ができただけです。

1か月休み、移植周期といって子宮環境を整えて凍結してあった初期胚を戻しましたが、また陰性でした。

 

お値段はさらにあがって70万円です。

 

このあたりは、自分の気持ちをつぶさに思い出すことができません。

一回目、2回目くらいまでは、「はい次!」という感じもあったのですが、この頃からは、ショックが大きすぎて、先が見えなくて、気持ちが冷凍保存されてしまいました。

 

 

 

 

 

 

2度の体外受精失敗の後、また事件が

こんにちは。

 

2度目の体外受精も失敗に終わりました。

 

状況としては、二人とも体に問題はない、むしろ精子は状態がだいぶ良い。それなのに受精卵が細胞分裂できずに成長がとまる、という現実。

ということは私が原因なのか?(うすうす気づいていたけど)と思い始めました。

ちょうど38歳目前のことです。

妊活をしていると自分を責めたり、罪悪感を持ってしまうこともある、と言われますが、まさに私もそのループにはまっていきました。

体外受精を始める前は、一回でできると思っていました。こんなに手こずるなんて、考えもしていなかったので、こんなに頑張っているのに???とうい怒りとか、出来なかった悲しさ、虚しさ、それでも日常は続いていく、という現実。

治療は、大変なのにできなかった時の虚無感がすさまじく、つくづく嫌だなという気持ちもあります。一方、治療は顕微授精など、ほかの方法もあるので、まだ試してみたい気持ちもありました。

 

そんな時、大ちゃんに二度目の海外転勤の辞令が出たのですよ。

 

「ガーーーーん。」青天の霹靂です。

帰国してまだ2年しかたっていませんでした。私の気持ちは、前回の駐在の疲れも取れていないのにもう出発?しかも、今は大事な妊活中。現在37歳後半。この大事な時期を海外で過ごしたら、子供は一生あきらめることになるのではないか。

しかも、すごい突然。会社って意味がわかりません。

と思っていましたが、実は、大ちゃんには少し前から上司からプライベートな質問がされていたようです。妊活の進み具合なんかも聞かれていたようなんですね。

けど、大ちゃんは新しい仕事を任されることや、海外に行くことで自分のキャリアアップにつながる、というメリットを優先して私の意見は確認していませんでした。

 

しかも、出発までたった2か月しかありません。

 

この二か月の間に、大ちゃんも赴任地での病院事情や不妊治療など調べてくれました。が、今度は中東。前回の駐在でも、やはり医療は、手先が器用なお医者さんと優しい看護師さんがいる、しかも細かいことまで日本語で聞ける!日本で受けるのが一番。という信念が出来てしまった私には、海外で不妊治療を受けるという選択は現実のものではありませんでした。

 

色々考えましたし、二人でも話しましたが、2か月では私の結論はでませんでした。

 

私もフルタイムで仕事もしていたので、そんな急にはやめられないという事情もありました。

また、ちょどこの時、ヨガのティーチャートレーニングというヨガの先生になる為の資格を取っている最中で、それが終わってから考えます。と大ちゃんのみ先に出発してもらいました。

 

この頃は妊活頑張っているのに子供ができないストレスと、また海外に住むの?というストレスと、仕事を辞めるので忙しい、ヨガのティーチャートレーニングの宿題、と心も体も忙しく、夜寝ている間のくいしばりがすごかったです。一時は朝起きたら首がむち打ちみたいになって動かなくなっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二度目の体外受精

こんにちは。

 

一回目の体外受精は失敗におわりました。

 

卵巣を刺激したので、次の周期は治療お休みです。

この頃になると、一か月休むのも、歳をとってしまう、、、と恐怖でした。

 

一回目の卵巣刺激方法はクロミッド+HMG注射の組み合わせでしたが、2回目はアンタゴニスト法という方法でした。卵巣の刺激方法を変えると採卵できる卵子の数が増える可能性がある、とのことです。月経3日目から毎日注射をして卵胞を育て、卵胞が充分の育ったところで排卵を抑制するGnRHアンタゴニスト製剤を注射するというものです。この注射は自宅でもできますが、私は毎日病院に通っていました。

自分で注射するのがどうしても怖かったので、通院するという不便をとりました。いずれにしても注射はいたかったです。

あと、注射が嫌だったのか、体が悲鳴をあげているのか、とにかくストレスでマフィンやマドレーヌといったバターとお砂糖たっぷりのお菓子がどうしても食べたくなって、沢山食べていたら3キロくらい太ってしまいました💦

理性で冷静に治療を進めている自分と、こんなこといやだよ、とそれに対抗する自分が喧嘩していました。

 

太りながらも無事に卵子が育ち、2度目の採卵。

二度目とあり、好奇心から、手術室で何が行われるのか、この目で確かめてみようという気持ちになっていました。麻酔はかかっていましたが、先生が手術室に入って、今から採卵します、というタイミングでまだ意識があったので、モニターに注目していました。そしたらですね、なんと麻酔が効かなくて、採卵、痛いのです!

1個、2個、と採卵されていきますが、「イテテテ〰」という感じでした。

あとで看護師さんとの雑談で教えてもらったところによると、「麻酔は意識には勝てない」ということでした。意識がしっかりしていると麻酔も効かないんですね。(体外受精で使う麻酔が弱いものだから)注意です。以後気をつけます。

 

採卵、翌日、院長先生に電話。今回は13個取れたけど、受精したのは9個。無事に育っているということです。授精しなかった4個は小さかったり、精子が2個入ってしまったり、だそうです。

 

今回も新鮮胚移植を行うため、3日目にまたオペ室へ。また子宮にそっと受精卵をふんわりと置いて終わりです。このふんわりと置くだけであとは普通に生活していいというのが、どうしても心配で、すごく大人しく帰りました。

 

2週間後、着床判定。今回も陰性です。50万円チーーーーンです。

ほんとにほんとにこんな無駄使いがあるでしょうか???妊娠すればむしろ安いくらいかもしれないですが、妊娠しなかった場合は、手元に何も残りません。

(欲しくないけど)エルメスの高級バックのバーキン買えちゃったよ、ハワイにビジネスクラスでいけちゃったよ。とか頭の中をぐるぐる思考が巡りました。

 

2回目も失敗だったけど、一つだけいいことがあったとしたら、お金は自分の為に、自分が喜ぶことに使うのが一番いいな、ということに気がつきはじめたことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ体外受精開始です

こんにちは。

 

いよいよ体外受精開始です。

 

とその前に、病院で月に2回行われている体外受精の説明のガイダンスに出ました。

大体、37歳だと30数%が成功して妊娠出産に至っているようです。

能天気な私は「ということは3回体外受精すれば99%妊娠するのか」と頭の中で変換しました。バカですよね〰。バカだったんです。

 

今までの経験、「努力すれば報われる」という方程式から、体外受精すれば妊娠するもの、と思っていました。

 

体外受精といっても、卵巣を刺激するかしないか、刺激するにしてもロング法とショート法、どういうお薬を使って刺激していくか、色々な方法があります。

梅ヶ丘産婦人科では、個人に合わせた卵巣刺激法をとっていました。もちろんリスクもあって、卵巣を刺激することで卵子が沢山出来すぎてしまう、卵巣が腫れてしまうということがあります。そのリスクを避けるために、(私の卵子がどういう反応を起こすかわからないので)最初の一回目は

最初クロミッドという飲み薬である程度卵子を育て採卵5日前位からHMG注射をうつという方法で卵巣を刺激していきました。

 

嫌だなというより、いよいよ、という期待感が大きく、注射もエコー検診も全部が物珍しく、自分の身体を使った人体実験のような気分だったんです。

 

順調に卵子も育っていき、目標の卵子10個くらいとれるかも、ということでした。

お腹が張るといわれていますが、確かに採卵前日あたりは下腹部が張っている感じで自転車で通院していたのですが、振動が辛かったです。

 

そして採卵日。

ピンクのガウンを着て、手術室へ。この時ばかりはドキドキしました。意識を遠のかせる軽い麻酔をしますが、なんとなくぼんやりとした意識があります。先生が入ってきて、いよいよ採卵です。「何個取れましたよ〰」という看護師さんの声が遠くで聞こえます。(実際は耳元で言ってくれてたと思います)

目標より少ない8個取れました。意外とあっけなく終わりました。

あとは培養室で受精をさせ、受精卵を育ててくれます。

 

翌日、11:45以降に病院に電話を入れるように言われ、電話をすると忙しいはずの院長先生につないでくれました。そして、昨日の採卵後の卵子がどうなったかの説明。

8個取れて3つは成熟していなかったり受精しなかったり。残りの5つは無事に受精し育っているとのこと。この結果はいのかわるいのかわかりませんでしたが、ほっとしました。

 

採卵から3日目。新鮮胚移植をするためにまた病院へ。ピンクのガウンを着て手術室に入ります。移植は麻酔ナシ。痛くありません。エコーで見ると受精卵がピカピカ光って見えました。受精卵は子宮にそっと置かれて終了です。

そのまま、帰宅してよいとのこと。走ったら大事な受精卵が落ちたりしないか、ものすごく気になって先生に訊いてみましたが、そんなことはないそうです。

 

残りの4個の授精卵は残念ながら胚盤胞にならず破棄になってしまいました。

 

2週間後。妊娠判定。着床せず。お会計40万円。チーーーン。という感じです。

 

今まで使ったお金の中で一番「どぶに捨てた感」がありました。

 

こんなにお金を使って、本当に本当に手元に何も残らないばかりか、自分の身体は薬漬けになって、こんなことってあるんだぁとものすごい怒り、誰に、何に対してかわかりませんが、「はっ?!!」と思いました。

 

そんなこんなで一回目の体外受精は終わりました。

 

 

タイミング法から不妊治療専門病院へ

こんにちは。

 

流産の時に、先生が言った「2,3か月後」を待って、自己流のタイミングで妊活を始めました。

基礎体温計を購入し、グラフも付けていたのですが、ガタガタで、いつが排卵日なのかなぁ、という感じでした。

一度、妊娠したこともあり、子供ができないなんて頭の片隅にもなかった頃です。

でも半年たって、いつが排卵日なのかよくわからないということもあり、不妊治療専門の産婦人科の門をたたくことになります。

近所に住む友人が、二人目不妊でタイミング法を試して2か月後にできたと聞いた梅ヶ丘産婦人科です。自転車でいける距離にあったこともあり、まずはここに行ってみることにしました。

予約の電話をすると院長先生の予約は数日先までいっぱい。人気の産婦人科のようです。

予約当日、病院に行くと、患者さんでいっぱい。こんなに不妊女性がいるんだぁとなんだか関心すると同時に、みんな大変そうだなぁと、どこか他人事な自分がいました。

 

この時は、まさか、まさか自分が不妊の泥沼に入り込むなんて一ミリも考えていなかったんですよね。。。

 

先生にこれまでの経緯を話し、今後のスケジュールを確認しました。患者さんの話をじっくり聞いてくれる先生で、質問には全部答えてくれます。

大体、あなたの年齢だと自然妊娠して卒業していく人が多いです、とも。

あとは流れ作業のように検査、検査でした。女性ホルモン値を図る血液検査、痛いといわれる卵管造影検査(梅ヶ丘産婦人科では、渡される資料にも痛くありません、と記載がありましたが痛くありませんでした)、夫の精子の健康状態、私の膣の中で夫の精子が死んでいないか図るフーナーテスト。

夫は治療に積極的で病院に行くことも嫌がることはありませんでしたし、やることはやろうという感じでした。

 

一度妊娠したので、どこかに問題があるとは考えていませんでしたが、結果、どこも悪くありませんでした。

 

というわけで、特別治療が必要でもなく年齢も若かったので、先生の指示のもと、タイミング法での妊活が始まります。生理が始まったら病院の予約を入れ、生理開始日から12日後に受診。経腟エコーで卵子の大きさをはかり、あと何日で排卵するか先生が予想。これはこの先何年もの間に何十回としたのですが、先生のお見立ての正確なこと!先生は毎回ほぼ確実に当てていて、徐々に信頼するようになっていきました。

 

はじめはそんな感じでしたが、卵子が順調に育たない月もあり、そんな時はクロミッドという排卵誘発剤を数日飲んで卵子を育てたりしました。

 

ホルモン数値もOK、精子は元気すぎるくらい、卵管に問題があるわけでもなく、じゃあ何が原因なんだと考えた時に、私の排卵が順調でないことしか考えられないな、と徐々に思い始めました。

そして、排卵が順調でないと、「また2,3日後に来てください」と言われ、予定が立てずらいんですよね。

 

そんなこんなで8か月後、先生からそろそろステップアップを考えてみて、と人工授精の説明書を渡されました。

 

当時は(これといった原因のない私たち夫婦に)人工授精なんて意味あるの?と思っていましたが、先生のおすすめだし、試してみるかという気持ちで2回ほど、試してみました。

 

が、できませんでした。

 

なんか冷たい液体が入ってくる感覚もすきじゃなかったです。

 

今度は自分から先生に体外受精にステップアップしたいと伝えました。

はじめての流産

こんにちは。

 

少量の出血はあったものの、茶色いオリのようなものでした。妊娠初期にはあることなので、心配はありましたが、家でジッとしているよりは気分転換にもなると思い、友達とのランチにでかけました。

楽しく会話していましたが、「あっ何かでてきたかも?」という感触があり、お手洗いに行くと鮮血が出ていました。ナプキンはしていて、それに収まる量でしたが、これはまずいと思い、一番近くにあった、救急病院にタクシーで駆け付けました。

救急病院は、近所のおじいちゃん先生から、出産と何かのトラブルの際はこの病院を紹介するといわれていた広尾の日本赤十字病院でした。

病院に到着し、受付を済ませて、看護師さんと少しお話しました。

看護師さん「何かでた?」と聞かれましたが出血以外は思い当たらず何のことはわかりませんでした。

待合室で受診を待つ間に、お腹が激痛レベルになってきました。その様子を見て看護師さんが横になれる部屋に移動させてくれました。そこで大ちゃんにメール。

「出血して、日本赤十字病院に来ている。入院するかもしれない。」と。

本当は今すぐ着て欲しいくらい心細かったのに、「今すぐ着て」という言葉が思い浮かびませんでした。

 

本当に辛い時に、「助けて」と言えない私が現れました。

 

すごい遠回しに、「今すぐ着てほしい」、と言いたいのに「入院するかもしれない」なんていうので、私の心の緊急事態に大ちゃんは気が付くはずもありません。今は、こんなに冷静に分析しているけれど、当時は自分でも自分の気持ちに気が付いていませんでした。

 

メールをしている間も強くなる腹痛。リズムをうつような痛み、これは、、、陣痛ってこんな感じなのか。とどこか客観視している自分もいて。どれくらい横になっていたかわかりませんが、しばらくするとお手洗いに行きたくなりました。

お手洗いに入ると、大量に出血。びっくりしてトイレ内の緊急ボタンで看護師さんを呼びました。心臓がバクバクしてきました。看護師さんという職業は本当に尊敬です。冷静に対応してくださいました。心臓はバクバクしたままでしたが、診察室に呼ばれました。50代のずっと笑顔な女医さんでした。状況を説明し、内診台に乗りました。「子宮の中は綺麗になっています。今回は残念だったけど、2,3か月したらまた妊娠できますからね。また来てくださいね」

「また来てくださいね」という言葉が心の深いところに響きました。「またここに来よう」と誓うような気持ちになっていました。

 

お会計を待つ間、心ここにあらずのような状況で、座っていました。そうとうボーっとしていたと思います。自分の人生史上で一番、魂が抜けたような感じだったと思います。そんな私を見つけ、一人の看護師さんが話しかけてきてくれました。相談室のようなところに案内され二人で話しました。

看護師さん「今日はどうやってここに来ましたか?」

私「タクシーで。お昼を食べたら出血して、ほにゃららほにゃらら」

話しているうちに、胸が熱くなって、いつの間にか、しゃくりあげるように号泣していました。こんな号泣したのなん年ぶりだろう。

やっと看護師さんに呼ばれた意味を理解しました。魂が抜けたような状態の患者さん(私)をこの世に呼び戻すために話しかけてくれたんだなと。

あのまま、帰宅してたらどうなってたんだろう。お財布なくしたり、何かにぶつかったりしてたんだろうか。そんなことを考えながら帰宅しました。

 

大ちゃんの帰宅後、普通に二人でご飯を食べて、今日のことを話しました。大ちゃんは泣いている私を、優しく抱きしめてくれました。

 

ものすごく子供が欲しかったわけでもないのに、妊娠しようとしてすぐできて、妊娠する準備も、覚悟も何もできていないのに、それでも流産て悲しいものです。

この時は充分泣いたと思っていたけど、後でまだ泣き足りなかったと気づく時がやってきます。

 

そして、笑顔の女医さんの言う通り3か月後からタイミング法で妊活を始めることになります。

 

 

 

 

 

35歳 いよいよ子作り開始 そして初めての妊娠

こんにちは。

 

5年の駐在期間を経て、やっと日本に帰国しました。

今度は東京の住宅街。

引っ越し荷物を受け取ったり、役所の手続きをしたりして、会いたかった人にあって、ばたばたが少し落ち着いた頃、思い出したかのように、

 

「そうだ!子供つくろう!」

 

となぜかこの時、ひらめきました。

付き合って以来、避妊を続けていた私たちでしたが、初めて子供を作ってみました。

すると、2週間後、生理予定日を過ぎても生理が来ない、なんだか体が火照る気がする・・・もしやこれは・・・ということで、薬局で妊娠検査薬を購入し、検査すると

まさかの陽性!何度も箱の説明書きを確認しましたが、確かにこれは妊娠しているようです。いや、妊娠していました。

引っ越したばかりで、良い産婦人科もわかりませんでしたから、とりあえずネットで調べて近所にある評判のよさそうな産婦人科へ行きました。

問診表を書き、尿検査を済ませ、いよいよ診察室へ。白髪のハツラツとしたおじいちゃん先生でした。内診を済ませると、

「尿検査での妊娠反応はある、でも子宮の中に袋が見えない」

「最悪の場合、200人に1人の確率位で、子宮外妊娠ということもある。」

ということでした。通常、妊娠5,6週で胎嚢が見えるはず。でも今回、私の場合、生理開始日もよく覚えていないので、もしかしたら排卵の時期がずれて、妊娠何週目かがはっきりわからないので、あと10日後にもう一度、診察に来るように、ということでした。

そこからネット検索魔と化し、 『妊娠しているのに袋が見えないってどういうことだ?』 『胎嚢って何?』 『妊娠何週目で胎嚢が見えるの?』 という妊娠の仕組みを始めてググりました。東京の人気産婦人科は妊娠6週位で分娩予約をしないと予約が取れないということは聞いていたので、良さそうな産める病院も同時に探しました。

流産してしまうかもしれない心配と、産みたい病院で産めるかという両極端な心配をしていました。

 

ネット検索魔になって1週間、「おなかの赤ちゃんどうなっているんだろう?」と自分の気持ちを抑えきれずに、再度、受診しました。

そうしたら、白髪のおじいちゃん先生がすごくめんどくさそうに「前回と状況はかわらないですね。10日後に来てくれって言ったのに」といわれ受診終了。

そりゃそうですけど、、、ものすごい不信感が募りました。

この時の私は気が付きませんでしたが、先生の立場になると、「察しろ」ということだったのだと今になって思います。

そうこうするうちに、次の受信日をまたず、少量の出血が始まりました。