治療「お休み」にします
こんにちは。
4度目の治療も失敗に終わりました。
ここで、「お休み」というのは、「治療はメンタル的にもう出来ないけど、子供をあきらめたわけではない」ということです。
この本の最後に、色々な形で治療を卒業していく人がいる。その一例に治療はしないけど子供を諦めたわけではないカップルの話がのっていました。ゆるやかに妊活を卒業する、そんなスタイルもあるのか。と本を読んだ時は思っていたのが、頭の片隅に残っていました。
そして、この一年、だいぶ疲れていたので、自分を癒すためにも少しスローペースで生きてみようと、好きなことだけして生活することにしました。
1人暮らしを利用して、好きな時間に起きて好きな時間に寝る、好きな時間に好きなものを食べて、食べたくなければ食べない、なんてこともしていました。
もちろん、妊活は忘れていなかったので、ジャンクフードをむさぼったり、お酒をがぶ飲みするってことは、なかったのです。
朝、10時ころごはんを食べて、夕方16時に食べて2食で終わりなんて日も。
これまで、オーガニックとか無添加とかにもこだわっていたのですが、オーガニックの野菜ってスーパーでは種類は少ないし新鮮でないこともしばしば。
ならば農薬が少しあっても新鮮なほうが美味しいし体にもいいのではと考え始めました。
あと、オーガニックや菜食にこだわるあまり顔色悪いな、、、という人もちらほら知っていたので。
この時に、気が付いたのは、こだわった良い食材もいいけれど、どんな気持ちで誰と食べるか、それが大事だな〰ってことです。
家族がいると、お腹がすいていなくてもつられて食べちゃうこともありますけどね。
家族の大切さや友達の大切さをかみしめて、あとは自分が人生をかけてやっていきたいことって何だろうと模索していました。
卵子の質を上げる方法を研究しながら、自分を大切にしながら、のんびりと生活をしていたら、2年が経ちました。
その2年で、大分こころも落ち着いて、大ちゃんが本帰国したら、また最後にもう一度治療してみようかな〰なんて気持ちにもなっていました。
もし、今、治療をするのが辛くて苦しい人がいたら、一度休んでゆっくりしてみると、また力が湧いてくるかもしれないです。治療を辞めたとたんに妊娠したというのも良く聞きますよね。
そして、この2年の間に起こったことはまた次回。
心を凍らせて4回目の治療 顕微授精
こんにちは。
3回目の治療(体外受精2回、顕微授精1回)も失敗に終わりました。
3回目までは、「次こそは!?」という気持ちもありました。
でも「努力すれば報われる」というこれまでの価値観も木っ端みじんに砕かれ、
大ちゃんもいないのにひとりで治療することもすごく空しかったです。
そして、自分で決めたとことはいえ、海外と行ったり来たりとはいえ、日本にいる間は無職の1人暮らし。
ひとりの夕食など、ほんとーーーーに寂しかったです。こどもが出来なくて旦那さんが亡くなっちゃったらこんな感じなんだろうな。。。などと根暗なことを考えていました。
幸い近所に友達が多くてホームパーティーも盛んだし、趣味の友達や独身の友達と時々ワイワイとして気を紛らせていました。
まだ30代だったけど、老後はますます友達が大事だな!とこの時から実感しています。
この頃は、治療が上手くいかなくて、心は砕けているんだけど、「治療を辞める=子供を諦める」という思考に陥っていて、もう一回、力を振り絞って顕微授精を挑戦することにしました。
やり方はこれまでと同じでした。
HMG注射をしに毎日、病院に通い、採卵日を待ちます。
そして採卵日。
今度は12個採卵できました。今回も子宮環境を休ませるため、すぐに移植はせず、1か月後の移植です。でも、また胚盤胞まで育たなかったんですね。
お値段70万円です。ちーーーーん、です。
これまでトータル何百万円使ったんでしょうか。
この時、家や車を持っておらず現金はあったので、金銭的にはまだ続けることはできました。でも、もう自分の心が限界でした。
不妊治療の辞め時って人それぞれです。年齢で区切っている人、いくらまでと金額でくぎっている人。私の場合は、自分の心がもう無理だとなって辞めました。
そこで大ちゃんと話し合いです。
やっとゆっくり話合いました。海外と離れていたので、時差もあり、電話で話す日もあればメッセージだけの日もありました。
このメッセージのやり取りというのが、私たちには今までにない方法でセンシティブな話し合いに功を奏しました。私も考えをまとめてからメッセージを書くし、男性も文字で見たほうが理解がしやすいようですね。
私の気持ちは子供はあきらめられないけど、治療をするのはもう無理だということ。
大ちゃんは、家族(私)の幸せが自分の幸せだから、なんでも協力するといってくれました。
これまで流産したときや治療が失敗に終わった時、泣いている私に対してどこか冷静な大ちゃんに違和感を感じていました。私は夫婦なのに他人事みたいで寂しかったんです。
でもそれは、大ちゃんは「二人で落ち込んだらダメだ」と思っていたから。ということもメッセージのやり取りでわかりました。
女は共感したい生き物なんだけど、大ちゃんなりの気遣いもわかって再び心を通わせることが出来ました。
そこからは、じゃあどうやったら治療をしないで子供をつくることができるのか、ということに注目していきました。
私の問題点は受精卵の細胞分裂が止まってしまうことなんだけど、ではどうやったら細胞は分裂していってくれるのか。
どうやら細胞分裂を促すためには卵子の質を上げるしかないようだ。
では卵子の質を上げる方法はないのか、と探し始めました。
ひとりで顕微授精に挑戦しました
こんにちは。
大ちゃんは、新たな任務地へと旅立っていきました。
大ちゃんの新たなことにチャレンジするハツラツとした感じ。
妊活がうまくいかない私とは接点がないくらい心が離れた気がしました。
この頃、ヨガのトレーニングに参加していたのですが、自分の心を見つめなおす機会がありました。そこで「繊細になる」「今あるものをありがたく受け取る」という心の変化がなかったら私たち二人は別れていたかもしれません。
もう一度、大ちゃんが私にしてくれていたこと、精神的に助けられていたことを感じることが出来ました。
結局、私は、子供はあきらめられないし、海外で不妊治療をする気もないので、別居を選びました。
大ちゃんにも素直に自分のことを話したらよく理解してくれて、お互い新しい環境だけど頑張ろうということになりました。
結局、大ちゃんも1か月に一度くらいは日本に出張がありそうだし、私も仕事を辞めて、中東と日本を行ったり来たりの生活をすることで落ち着きました。
そして、不妊治療は新たなステージ、顕微授精に進みます。
大ちゃんがいないため精子は冷凍です。フレッシュよりは質が落ちるかもしれないこと、これまで2回の体外受精で7割くらいは受精しているけど、受精率をさらに上げようということで顕微授精をすることになりました。
顕微授精と言っても値段が10万ほど上がる以外は、私がすることは変わりません。
毎日、病院に通いHMG注射をうち、採卵の日を待ちます。
けれど、始める前からなんか違和感があって、注射をしているうちにそれがどんどん増していきました。その違和感は、大ちゃんがいないのに、顕微授精をすることです。
子供って作るものじゃなくて、授かるものなんじゃないか。
自分の努力ではどうにもならない部分は医療の力を借りて、妊娠出産することには賛成です。そんな治療がある時代の日本に生まれたこと、自分自身が治療を受けられる環境にあることには感謝していました。
ですが、ここでなんだかピュアな部分が出てきてしまい、相手も海外でいないのに、無理やり作っていいものなのだろうか?疑問が膨らんで行きました。
そして採卵日。
今回は13個採卵できました。
前回の反省から、麻酔を打たれたあとは、自ら進んで眠るようにしました。
ですが、今回は私の肩の近くにいた看護師さんが、「●●個取れましたよ」と実況中継する声が大きく、覚醒してしまいました。
「おーーい。」と心の中で突っ込みを入れました。私の緊張もあったと思うのですが。。。
無事に採卵できましたが受精卵になったのは8個。
今回は、直ぐに受精卵をもどすのではなく、初期胚を1つ凍結して、胚盤胞になったらすべて凍結という方法を選びました。(先生におすすめされました)
採卵周期は卵巣刺激で卵巣も腫れるし、子宮を休ませてから移植する方が、着床率が上がるかもしれないということでした。
ですが、今回も胚盤胞にならず、初期胚1つの冷凍ができただけです。
1か月休み、移植周期といって子宮環境を整えて凍結してあった初期胚を戻しましたが、また陰性でした。
お値段はさらにあがって70万円です。
このあたりは、自分の気持ちをつぶさに思い出すことができません。
一回目、2回目くらいまでは、「はい次!」という感じもあったのですが、この頃からは、ショックが大きすぎて、先が見えなくて、気持ちが冷凍保存されてしまいました。
2度の体外受精失敗の後、また事件が
こんにちは。
2度目の体外受精も失敗に終わりました。
状況としては、二人とも体に問題はない、むしろ精子は状態がだいぶ良い。それなのに受精卵が細胞分裂できずに成長がとまる、という現実。
ということは私が原因なのか?(うすうす気づいていたけど)と思い始めました。
ちょうど38歳目前のことです。
妊活をしていると自分を責めたり、罪悪感を持ってしまうこともある、と言われますが、まさに私もそのループにはまっていきました。
体外受精を始める前は、一回でできると思っていました。こんなに手こずるなんて、考えもしていなかったので、こんなに頑張っているのに???とうい怒りとか、出来なかった悲しさ、虚しさ、それでも日常は続いていく、という現実。
治療は、大変なのにできなかった時の虚無感がすさまじく、つくづく嫌だなという気持ちもあります。一方、治療は顕微授精など、ほかの方法もあるので、まだ試してみたい気持ちもありました。
そんな時、大ちゃんに二度目の海外転勤の辞令が出たのですよ。
「ガーーーーん。」青天の霹靂です。
帰国してまだ2年しかたっていませんでした。私の気持ちは、前回の駐在の疲れも取れていないのにもう出発?しかも、今は大事な妊活中。現在37歳後半。この大事な時期を海外で過ごしたら、子供は一生あきらめることになるのではないか。
しかも、すごい突然。会社って意味がわかりません。
と思っていましたが、実は、大ちゃんには少し前から上司からプライベートな質問がされていたようです。妊活の進み具合なんかも聞かれていたようなんですね。
けど、大ちゃんは新しい仕事を任されることや、海外に行くことで自分のキャリアアップにつながる、というメリットを優先して私の意見は確認していませんでした。
しかも、出発までたった2か月しかありません。
この二か月の間に、大ちゃんも赴任地での病院事情や不妊治療など調べてくれました。が、今度は中東。前回の駐在でも、やはり医療は、手先が器用なお医者さんと優しい看護師さんがいる、しかも細かいことまで日本語で聞ける!日本で受けるのが一番。という信念が出来てしまった私には、海外で不妊治療を受けるという選択は現実のものではありませんでした。
色々考えましたし、二人でも話しましたが、2か月では私の結論はでませんでした。
私もフルタイムで仕事もしていたので、そんな急にはやめられないという事情もありました。
また、ちょどこの時、ヨガのティーチャートレーニングというヨガの先生になる為の資格を取っている最中で、それが終わってから考えます。と大ちゃんのみ先に出発してもらいました。
この頃は妊活頑張っているのに子供ができないストレスと、また海外に住むの?というストレスと、仕事を辞めるので忙しい、ヨガのティーチャートレーニングの宿題、と心も体も忙しく、夜寝ている間のくいしばりがすごかったです。一時は朝起きたら首がむち打ちみたいになって動かなくなっていました。
二度目の体外受精
こんにちは。
一回目の体外受精は失敗におわりました。
卵巣を刺激したので、次の周期は治療お休みです。
この頃になると、一か月休むのも、歳をとってしまう、、、と恐怖でした。
一回目の卵巣刺激方法はクロミッド+HMG注射の組み合わせでしたが、2回目はアンタゴニスト法という方法でした。卵巣の刺激方法を変えると採卵できる卵子の数が増える可能性がある、とのことです。月経3日目から毎日注射をして卵胞を育て、卵胞が充分の育ったところで排卵を抑制するGnRHアンタゴニスト製剤を注射するというものです。この注射は自宅でもできますが、私は毎日病院に通っていました。
自分で注射するのがどうしても怖かったので、通院するという不便をとりました。いずれにしても注射はいたかったです。
あと、注射が嫌だったのか、体が悲鳴をあげているのか、とにかくストレスでマフィンやマドレーヌといったバターとお砂糖たっぷりのお菓子がどうしても食べたくなって、沢山食べていたら3キロくらい太ってしまいました💦
理性で冷静に治療を進めている自分と、こんなこといやだよ、とそれに対抗する自分が喧嘩していました。
太りながらも無事に卵子が育ち、2度目の採卵。
二度目とあり、好奇心から、手術室で何が行われるのか、この目で確かめてみようという気持ちになっていました。麻酔はかかっていましたが、先生が手術室に入って、今から採卵します、というタイミングでまだ意識があったので、モニターに注目していました。そしたらですね、なんと麻酔が効かなくて、採卵、痛いのです!
1個、2個、と採卵されていきますが、「イテテテ〰」という感じでした。
あとで看護師さんとの雑談で教えてもらったところによると、「麻酔は意識には勝てない」ということでした。意識がしっかりしていると麻酔も効かないんですね。(体外受精で使う麻酔が弱いものだから)注意です。以後気をつけます。
採卵、翌日、院長先生に電話。今回は13個取れたけど、受精したのは9個。無事に育っているということです。授精しなかった4個は小さかったり、精子が2個入ってしまったり、だそうです。
今回も新鮮胚移植を行うため、3日目にまたオペ室へ。また子宮にそっと受精卵をふんわりと置いて終わりです。このふんわりと置くだけであとは普通に生活していいというのが、どうしても心配で、すごく大人しく帰りました。
2週間後、着床判定。今回も陰性です。50万円チーーーーンです。
ほんとにほんとにこんな無駄使いがあるでしょうか???妊娠すればむしろ安いくらいかもしれないですが、妊娠しなかった場合は、手元に何も残りません。
(欲しくないけど)エルメスの高級バックのバーキン買えちゃったよ、ハワイにビジネスクラスでいけちゃったよ。とか頭の中をぐるぐる思考が巡りました。
2回目も失敗だったけど、一つだけいいことがあったとしたら、お金は自分の為に、自分が喜ぶことに使うのが一番いいな、ということに気がつきはじめたことでした。
いよいよ体外受精開始です
こんにちは。
いよいよ体外受精開始です。
とその前に、病院で月に2回行われている体外受精の説明のガイダンスに出ました。
大体、37歳だと30数%が成功して妊娠出産に至っているようです。
能天気な私は「ということは3回体外受精すれば99%妊娠するのか」と頭の中で変換しました。バカですよね〰。バカだったんです。
今までの経験、「努力すれば報われる」という方程式から、体外受精すれば妊娠するもの、と思っていました。
体外受精といっても、卵巣を刺激するかしないか、刺激するにしてもロング法とショート法、どういうお薬を使って刺激していくか、色々な方法があります。
梅ヶ丘産婦人科では、個人に合わせた卵巣刺激法をとっていました。もちろんリスクもあって、卵巣を刺激することで卵子が沢山出来すぎてしまう、卵巣が腫れてしまうということがあります。そのリスクを避けるために、(私の卵子がどういう反応を起こすかわからないので)最初の一回目は
最初クロミッドという飲み薬である程度卵子を育て採卵5日前位からHMG注射をうつという方法で卵巣を刺激していきました。
嫌だなというより、いよいよ、という期待感が大きく、注射もエコー検診も全部が物珍しく、自分の身体を使った人体実験のような気分だったんです。
順調に卵子も育っていき、目標の卵子10個くらいとれるかも、ということでした。
お腹が張るといわれていますが、確かに採卵前日あたりは下腹部が張っている感じで自転車で通院していたのですが、振動が辛かったです。
そして採卵日。
ピンクのガウンを着て、手術室へ。この時ばかりはドキドキしました。意識を遠のかせる軽い麻酔をしますが、なんとなくぼんやりとした意識があります。先生が入ってきて、いよいよ採卵です。「何個取れましたよ〰」という看護師さんの声が遠くで聞こえます。(実際は耳元で言ってくれてたと思います)
目標より少ない8個取れました。意外とあっけなく終わりました。
あとは培養室で受精をさせ、受精卵を育ててくれます。
翌日、11:45以降に病院に電話を入れるように言われ、電話をすると忙しいはずの院長先生につないでくれました。そして、昨日の採卵後の卵子がどうなったかの説明。
8個取れて3つは成熟していなかったり受精しなかったり。残りの5つは無事に受精し育っているとのこと。この結果はいのかわるいのかわかりませんでしたが、ほっとしました。
採卵から3日目。新鮮胚移植をするためにまた病院へ。ピンクのガウンを着て手術室に入ります。移植は麻酔ナシ。痛くありません。エコーで見ると受精卵がピカピカ光って見えました。受精卵は子宮にそっと置かれて終了です。
そのまま、帰宅してよいとのこと。走ったら大事な受精卵が落ちたりしないか、ものすごく気になって先生に訊いてみましたが、そんなことはないそうです。
残りの4個の授精卵は残念ながら胚盤胞にならず破棄になってしまいました。
2週間後。妊娠判定。着床せず。お会計40万円。チーーーン。という感じです。
今まで使ったお金の中で一番「どぶに捨てた感」がありました。
こんなにお金を使って、本当に本当に手元に何も残らないばかりか、自分の身体は薬漬けになって、こんなことってあるんだぁとものすごい怒り、誰に、何に対してかわかりませんが、「はっ?!!」と思いました。
そんなこんなで一回目の体外受精は終わりました。
タイミング法から不妊治療専門病院へ
こんにちは。
流産の時に、先生が言った「2,3か月後」を待って、自己流のタイミングで妊活を始めました。
基礎体温計を購入し、グラフも付けていたのですが、ガタガタで、いつが排卵日なのかなぁ、という感じでした。
一度、妊娠したこともあり、子供ができないなんて頭の片隅にもなかった頃です。
でも半年たって、いつが排卵日なのかよくわからないということもあり、不妊治療専門の産婦人科の門をたたくことになります。
近所に住む友人が、二人目不妊でタイミング法を試して2か月後にできたと聞いた梅ヶ丘産婦人科です。自転車でいける距離にあったこともあり、まずはここに行ってみることにしました。
予約の電話をすると院長先生の予約は数日先までいっぱい。人気の産婦人科のようです。
予約当日、病院に行くと、患者さんでいっぱい。こんなに不妊女性がいるんだぁとなんだか関心すると同時に、みんな大変そうだなぁと、どこか他人事な自分がいました。
この時は、まさか、まさか自分が不妊の泥沼に入り込むなんて一ミリも考えていなかったんですよね。。。
先生にこれまでの経緯を話し、今後のスケジュールを確認しました。患者さんの話をじっくり聞いてくれる先生で、質問には全部答えてくれます。
大体、あなたの年齢だと自然妊娠して卒業していく人が多いです、とも。
あとは流れ作業のように検査、検査でした。女性ホルモン値を図る血液検査、痛いといわれる卵管造影検査(梅ヶ丘産婦人科では、渡される資料にも痛くありません、と記載がありましたが痛くありませんでした)、夫の精子の健康状態、私の膣の中で夫の精子が死んでいないか図るフーナーテスト。
夫は治療に積極的で病院に行くことも嫌がることはありませんでしたし、やることはやろうという感じでした。
一度妊娠したので、どこかに問題があるとは考えていませんでしたが、結果、どこも悪くありませんでした。
というわけで、特別治療が必要でもなく年齢も若かったので、先生の指示のもと、タイミング法での妊活が始まります。生理が始まったら病院の予約を入れ、生理開始日から12日後に受診。経腟エコーで卵子の大きさをはかり、あと何日で排卵するか先生が予想。これはこの先何年もの間に何十回としたのですが、先生のお見立ての正確なこと!先生は毎回ほぼ確実に当てていて、徐々に信頼するようになっていきました。
はじめはそんな感じでしたが、卵子が順調に育たない月もあり、そんな時はクロミッドという排卵誘発剤を数日飲んで卵子を育てたりしました。
ホルモン数値もOK、精子は元気すぎるくらい、卵管に問題があるわけでもなく、じゃあ何が原因なんだと考えた時に、私の排卵が順調でないことしか考えられないな、と徐々に思い始めました。
そして、排卵が順調でないと、「また2,3日後に来てください」と言われ、予定が立てずらいんですよね。
そんなこんなで8か月後、先生からそろそろステップアップを考えてみて、と人工授精の説明書を渡されました。
当時は(これといった原因のない私たち夫婦に)人工授精なんて意味あるの?と思っていましたが、先生のおすすめだし、試してみるかという気持ちで2回ほど、試してみました。
が、できませんでした。
なんか冷たい液体が入ってくる感覚もすきじゃなかったです。
今度は自分から先生に体外受精にステップアップしたいと伝えました。