はなの妊活日記

27歳で結婚した私が41歳で出産するまで

2度の体外受精失敗の後、また事件が

こんにちは。

 

2度目の体外受精も失敗に終わりました。

 

状況としては、二人とも体に問題はない、むしろ精子は状態がだいぶ良い。それなのに受精卵が細胞分裂できずに成長がとまる、という現実。

ということは私が原因なのか?(うすうす気づいていたけど)と思い始めました。

ちょうど38歳目前のことです。

妊活をしていると自分を責めたり、罪悪感を持ってしまうこともある、と言われますが、まさに私もそのループにはまっていきました。

体外受精を始める前は、一回でできると思っていました。こんなに手こずるなんて、考えもしていなかったので、こんなに頑張っているのに???とうい怒りとか、出来なかった悲しさ、虚しさ、それでも日常は続いていく、という現実。

治療は、大変なのにできなかった時の虚無感がすさまじく、つくづく嫌だなという気持ちもあります。一方、治療は顕微授精など、ほかの方法もあるので、まだ試してみたい気持ちもありました。

 

そんな時、大ちゃんに二度目の海外転勤の辞令が出たのですよ。

 

「ガーーーーん。」青天の霹靂です。

帰国してまだ2年しかたっていませんでした。私の気持ちは、前回の駐在の疲れも取れていないのにもう出発?しかも、今は大事な妊活中。現在37歳後半。この大事な時期を海外で過ごしたら、子供は一生あきらめることになるのではないか。

しかも、すごい突然。会社って意味がわかりません。

と思っていましたが、実は、大ちゃんには少し前から上司からプライベートな質問がされていたようです。妊活の進み具合なんかも聞かれていたようなんですね。

けど、大ちゃんは新しい仕事を任されることや、海外に行くことで自分のキャリアアップにつながる、というメリットを優先して私の意見は確認していませんでした。

 

しかも、出発までたった2か月しかありません。

 

この二か月の間に、大ちゃんも赴任地での病院事情や不妊治療など調べてくれました。が、今度は中東。前回の駐在でも、やはり医療は、手先が器用なお医者さんと優しい看護師さんがいる、しかも細かいことまで日本語で聞ける!日本で受けるのが一番。という信念が出来てしまった私には、海外で不妊治療を受けるという選択は現実のものではありませんでした。

 

色々考えましたし、二人でも話しましたが、2か月では私の結論はでませんでした。

 

私もフルタイムで仕事もしていたので、そんな急にはやめられないという事情もありました。

また、ちょどこの時、ヨガのティーチャートレーニングというヨガの先生になる為の資格を取っている最中で、それが終わってから考えます。と大ちゃんのみ先に出発してもらいました。

 

この頃は妊活頑張っているのに子供ができないストレスと、また海外に住むの?というストレスと、仕事を辞めるので忙しい、ヨガのティーチャートレーニングの宿題、と心も体も忙しく、夜寝ている間のくいしばりがすごかったです。一時は朝起きたら首がむち打ちみたいになって動かなくなっていました。