スッキリの不妊治療特集を見て思ったこと
久しぶりの投稿になってしまいました。
少し前ですが、朝の情報番組「スッキリ」で不妊治療特集を3日連続していました。
その3日目。2人の女性が出ていました。
1人は元バトミントン選手の陣内貴美子さん。
もう1人は大阪パフォーマンスドールとしても活躍したYUKIさんこと武内由紀子さん。
2人は高齢で不妊治療に取り組んだ末、今は全く違う道を歩んでいる姿が映っていました。
陣内貴美子さんは、子供を諦め夫婦二人の生活を選びました。
YUKIさんは、養子縁組を選びました。
私も子供ができなくて諦め半分、諦められない気持ちが半分という時間も長く過ごしたので、陣内さんの涙の訳もわかったし、朝から涙しながらTVを見ていました。
陣内さんの姿は、もう一人のわたしの姿。パラレルワールドを見ているようでした。
私もたぶん、子供ができなかったことを何歳になっても、(普段は忘れていたとしても)ふとした瞬間に思い出して、悲しみが湧いたり、なんでだろうな、と思っていたんじゃないかと思います。
その感情を
抑え込むこともなく、
隠すでもなく、
どうすることもなく、
ただ、ふと湧き上がる感情を自分自身が優しく受け止めてあげるしかないんだな、
と思い知らされたような気がしました。
一方で、武内由紀子さん。
生後すぐの養子を迎えた時のめちゃめちゃ幸せそうな姿。
1年たって、喜び一杯の現在の生活。
私が本気で養子の情報を取りに行っていなかったのもあると思いますが、今まで、養子を迎えた瞬間の親の表情、養子を迎えて喜び一杯の家族の様子って見たことなかったんです。
養子を迎えるのは、心配事が沢山あって私には無理だな、と結論づけていました。
でも、もしこれを40歳の私が見ていたら、養子に対する考えが変わっていたかもしれないという程、嬉しそうな姿でした。
どうして子供が欲しいか考える事。夫婦で自分たちを見つめなおすことが大切と言っていた陣内さん。
深く考えることで自分なりに出した答えで生きていく。
結局は、それしかないんだな、と思わせる示唆に富む良い番組でした。
もしまだご覧になってない方がいらっしゃいましたら↓が動画です。
不妊治療中に、病院の治療では妊娠できないかもしれないと思った理由
こんにちは。
ちょっとさかのぼって不妊治療中のお話です。
病院での不妊治療は、卵胞チェックのタイミング法から入り、人工授精→体外受精とステップアップしていったのですが、タイミング法あたりのころは、まさか自分がここまで手こずるとは思っていませんでした。
正直、病院に通い始めたころは、体外受精は別世界の話で、私には関係ないとさえ思っていました。
この頃は、体外受精にちょっとした偏見もあったし、体外受精で子供を授かったら、その事実を子供にどう伝えようかな〰なんて妄想族もいいところ!な思考を巡らせていました。恥ずかしい・・・
でも、タイミング法をとるうちに妊娠しなかったので、徐々に体外受精にも興味がわいてググるようになってきていました。
この頃は偏見どころか、こんな素晴らしい治療が受けられる日本バンザイ\(^o^)/!でした。私は、日本人は手が器用だし、清潔だし、真面目だし、日本の医療には絶大の信頼を置いています。
(自分の目で耳で良い先生、良い治療を探して選ぶのは大前提ですが)
だから、医療の力を借りて、自分の足りない部分をアシストしてもらって妊娠できるなら、それに越したことはないと今でも思っています。
通っていた梅ヶ丘産婦人科で体外受精もしていたので、病院の主催する体外受精説明会に出席したときのことです。
資料によると、だいたいみなさん、一回の治療(採卵)で妊娠に至っています。
体外受精を一回して、一回の採卵で複数の受精卵が出来て、その受精卵を移植していくうちに妊娠しているようです。
説明会の時は、大体1回で妊娠できるんだ!とワクワクしたものです。これでようやく妊娠するぞ、と。
でも、採卵を1回、2回、3回、4回とするうちに・・・
もう一度、説明会の時の資料を引っ張り出して穴が開くかのごとく見てみたんです。
やはり、みなさん、一回の体外受精で妊娠に至っている。
回数を重ねるごとに成功率は下がる・・・
それは、つまり、不妊の原因のある人が一回で妊娠しているのではないか???
というのが私の頭に浮かんだ回答でした。
つまり、卵管がつまっていたり、精子の状態が良くなかったりした場合は、体外受精がとても効果があります。直接の原因を排除できるわけですから。
でも、それ以外の人は、卵子を量産することで可能性を上げることはできるけど、成功率はたいしてあがってないのではないか?と考えついてしまったんです。
こんな考えが頭に受かんで、その時にはこころも体もボロボロでしたが、治療をようやくお休みする決心がついたのでした。
1回目の体外受精開始から約一年がたっていました。
不妊様にもなれなくて
こんにちは。
わたしには、妊活中に憧れていたものがあったのですが、それは・・・
マタニティーマークです!!
通勤途中で見かける小さなマタニティーマーク。
かばんにちょこんとついているマタニティーマーク。
前から見るとわからないけどリュックにちょこんとついているマタニティーマーク。
お腹がでていなくても、スーツでバリっと決めていても、マタニティーマークがあると「この人妊娠しているんだ!超うらやましい〰〰〰」と思っていました。
わたしにとってはあこがれのマタニティーマークだったんです。
でも、世の中には、このマタニティーマークを見ると辛くなる・・・という人もいます。
「これ見よがしに幸せ自慢して・・・」なんて考えちゃうのが不妊様ということのようです。それくらい辛い思いをしているってことの裏返しなんですが。
この不妊様を気遣って、あえてマタニティーマークをつけない選択をする妊婦さんもいます。なんだか世知辛い世の中です。
わたしは、マタニティーマークについては単純に能天気にあこがれていました。
でも、やっぱり、家族連れがまぶしく見えたし、何でわたしばっかり、みたいな思考になることもありました。
妊活中のある時、同じ社宅にすむ仲良し家族グループで焼肉屋さんに焼き肉を食べに行くことになったんです。その時、我が家以外は全員子供がいて、にぎやかな焼き肉パーティーとなりました。でも、そのにぎやかさとは裏腹に私の心の中は悲しみでいっぱい。
「なんで私だけ子供がいないのかなぁ・・・」
みんな同世代で子供が1人か2人いる。
自分には、あるはずのものがない悲しみというんでしょうか。
自分がまるで欠陥品にでもなったかのような感情でした。
なぜかその時、突然、涙がこぼれおちそうで、
一生懸命、焼き肉を焼く係をして、お肉を焼くことに集中して、涙をこらえていました。
お肉を焼く手を止めたら涙が一気にこぼれおちそうでした。
わたしが泣きそうだなんて誰も気が付いていません。
自分も、なんで今ここでなんだ????という疑問。
すごく張りつめていて、きっとこの時が妊活ストレスのピークだったかもしれません。
わたしはひとを責めることはなかったけれど、根っこにあるものは不妊様と同じでした。
思い通りにならないことを受け入れられない。
自分を認めて欲しい。
あるはずのものがない。
孤独感。
自分だけが頑張っている。頑張りすぎている。
頑張っていることを認めて欲しい。
自分が自分を肯定できていない。
ネガティブの塊ですよね(笑)
このネガティブの塊が根っこにあって、怒りに向かうと不妊様。
悲しみに向かうとわたしのような状況になります。
あー、悲しい、悲しい、何でわたしばっかりという時期を経て、
この根っこにあるものを見つけることが出来、自分はそんなふうに思っているのか、と自分の闇の部分をみて初めて極度の緊張状態からは解放されていった気がします。
そして、そんな自分の闇の部分を見たからこそ、今は、怒っている人を見ても、怒鳴っている人を見ても「この人、大変なんだな、頑張っているんだな」と思うことが出来ます。
そんなパラレルワールドを感じることが出来るようになったのも、妊活のおかげかもしれません。
つくづく妊活中で良かったと思ったこと。
こんにちは。
前回は、メンタルを落ち着かせることで妊活で重要な「ゆるゆるする」ということが解ってきたというお話でした。
子供は出来ないし、病気でもないのに、体のことを色々気をつかっていた時期なんですが、つくづくこれが妊活で良かったと思ったことがあります。
それは、妊活って子供を作ることなんですが、子供ができないって病気じゃないんです。だから、ちょっと間違ったり、寄り道したり、余計なことをしていても、歳は取りますが、病状が悪化するわけではないということ。
妊活が長引けば長引くほど、誰にでもある黒歴史。
例えがいいかどうかわかりませんが、もしこれがガンだったとしたら。。。ちょっと寄り道している間に、最悪、取り返しのつかないことになることだってあります。
病院だって沢山あって、色々な治療法があります。同じ体外受精でも先生の考え方ひとつで全然違った治療法になります。
自分がもし重大な病気になった時に、どう調べて、どう選択して、どう治療していくか、シミレーションが出来た気がします
それと、絶対に治るとか、一瞬で良くなるとかいうことは何もないということ。
どう生きていったら健康で長生きができるのかも大体わかってきました。
(簡単に実践できないこともありますが)
ある整体で、このまま生きていたら大変なことになっていたといわれたことがあります(呼吸が浅くて)
あのまま生きていたらどうなっていたんだろう?
わたしにとって妊活は一度立ち止まって生き方を見直すいい時間だったと今は思います。
昔、がん保険のCMで「ガンになっていい子を辞めました」というCMがありました。気が付くタイミングはひとそれぞれですが、わたしには妊活がそのタイミングでした。
妊活中、もっと気楽にといわれても・・・ゆるゆるするってどういうこと?
こんにちは。
治療には失敗してしまいましたが、何か他にいい方法はないものかと模索中のお話です。
治療中もよく見かけた言葉なんですが、妊娠するには「ゆるゆるすれば赤ちゃんはやってくる」とか「リラックスが大事」と言われています。東洋医学系の本によく乗っていることです。
でも、私の場合、会社も辞めてほぼニートだし、1人暮らしだから誰にも干渉されずやりたいことをやりたいようにやっていました。ある意味、恵まれた環境ですが、これ以上、どうやってゆるゆるすればいいのだ?
「環境は整えたよ!でも赤ちゃんこないよ!」
という感じでした。
もう、生まれてこのかた、40年近く過ごしてきた生真面目な性格のせいで、ストレス解消も真面目にやっちゃったんですね。
ヨガの合宿に行ったときに気が付いたんですが、私、数十年来の肩こりだったんです。でも、肩こりが日常になりすぎて肩が凝っているという現状にも気が付かなくなっていたんです。怖いですね〰。
そしてもうひとつ、ヨガの合宿でやったこと。私はこれまで聞いたこともなかったんですが、インナーチャイルドという、内なる子供と言われるものと対話するワークのようなものをしました。
子供時代の環境や生い立ち、かけられた言葉などによって、今現在、自分の思考のベースになっているということです。パソコンのOSに例えられますが、子供時代の記憶がOSでそれをベースに今、思考を行っているということです。
正直、ヨガの合宿中には対話できなかったんですが、終わった後、様々な気づきがありました。
そして、そうか!わたしってだからこう考えているんだ!(こう考えてしまう癖があるんだ)ということが、徐々に明らかになってきました。
三姉妹の末っ子で、可愛がられてきたけど、出来るお姉ちゃんに比べて、いつも自分は半人前、味噌っかす。みたいなセルフイメージ。可愛がられるために、ピエロになるのは得意。姉の真似をして育ったので、要領よくなんでもこなすけど、簡単にできてしまうので、達成感がない。器用貧乏。自己肯定感の低さから罪悪感を持ってしまいがち。
何でも自分のせいか?と頭の中でセルフトークが始まってしまうクセ。
そんな考え方のクセを見つけて、どんどんポジティブなものに書き換えていく作業をしていたのもこの頃でした。
そのころ好きだったヨガの先生の言葉。
「後悔しません」「(今、もし失敗してしまったと思っても)それが今の自分の現在地(そこから成長していけばいいよという意味)」
そうこうしていくうちに、どんどん自分軸ができ、精神的にもどしっとしてきて、肩の力が抜け、もしかしてゆるゆるするってこういうことなの?という感じになってきました。
環境を整えたり、体を休めたり、そして精神を休めるためには、自分の思考のクセや価値観を、今、心地よく生きていくために書き換える事って大事なんだな〰
と思う日々でした。
そして、オタクな私は心理学の学びが面白くなっていき、はまっていきました(笑)
告白すること。カミングアウトの重要性
こんにちは。
妊活中は、病院通いも疲れたし、お金もかかりました。
お金は正直1000万円程使いました。
病院での治療費プラス、二人で通った針灸、整体、漢方、私の心理学の学び、夫婦二人で心と身体を整えるため、ギリシャにヨガのトレーニングへ行ったのなど合わせれば、ですが。
ここまでくると妊活というよりは、人生を改造させてる感じになってきていました。
でも、今振りかえってみるとこの時期が非常に大事で、これがなかったら、私はまともな子育てができていたのだろうか?と思います。
子供ができていなかったとしても、夫婦二人の関係もこの時を通して大きく修繕していったように思います。
お金についての価値観もここで大分かわりました。
これまでは、お金があったら何でもできると思っていましたが、赤ちゃんはきてくれませんでした。
いくらお金をつぎ込もうとも、妊娠することはありませんでした。
お金はただ道具に過ぎない。でも、選ぶ自由をくれました。
治療を続けるか続けないか、お金があるないではなく、自分がどうしたいかで選ぶことが出来ました。
311があって、家を買うのを辞めたので住宅ローンなどがなかったのが功を奏した形でした。
そして、金銭面を気にすることなく、興味がある整体院やヨガの教室などへも多く通うことができました。
そこは本当に一生懸命働いてくれる大ちゃんに感謝でした。
洗脳騒動の整体教室もそうですが、いつでもどこでも「なぜここへ来たのか?」と聞かれると、私は「子供が欲しくて、でも出来なくて」という話をしていました。
そうすると全ての場所で、すごく親身になって、「このまえ47歳で出産した人がいる」とか、「ここへ子供が出来なくて来てた人、無事に妊娠したわよ」とか励ましてくれました。
自信がなくなっていた私はお金と時間を使って、「まだ大丈夫」という言葉をもらいに行っていたのかもしれないと、今では思います。もちろん、カラダも使いやすく動きやすく良くなっているんですが。
あるヨガ教室へヨガ友と一緒に行った時のことです。
友達も40歳、既婚、子供なしです。夫婦できにくい体質で積極的に妊活はしていないようでした。
私は、いつものように「子供ができなくて」と話すと先生から、沢山の励ましの言葉とともに、ヨガ教室に付属されてる鍼灸院に腕のいい女の先生がいるから紹介するから、と言ってもらいました。
後になって、一緒に行った友達とじっくり話す機会があって、「なんで<はな>ばっかり(親身になってもらえるんだ、するい)」みたいな感情があったと聞きました。
そんな心の小さい自分を責めてしまうとも言っていました。
そっかー。と答えるしかなかったですが、私と彼女の差は相手に自分の状況を伝えたか伝えなかったか、それだけです。他人と自分、なかなかテレパシーってないです。
他にも、妊活中と話していた友達には、自分が妊娠できた芸能人も通う整体院を紹介してもらったり、病院の話、色々な情報も集まりました。
情報があふれる世の中で、どの情報を採用するかは自分自身です。でも、「自分は子供が欲しいのにできなくて困ってます!」と発信することで、いい情報も集まります。応援もしてもらえます。いい出会いもあって、私の場合は、子供を諦めない力、ひいては自分自身を諦めない力、をそこで得ていた気がします。
妊活前半はなかなか自分が不妊であるということを認めることが出来ず、人にも言えず、一人悶々としていました。でも勇気を出して話してみると、世の中はこんなにも暖かいということを知った出来事でした。
なぜ妊娠に酸素が重要だと思ったか
こんにちは。
前回は怪しい整体教室に通っていたお話でした。
整体教室も1年くらいは、カラダも本当に変わっていって、いい状態になって来ているのが実感できたのですが、1年で小康状態になりました。
最近、あんまり変わらないな〰、それが辞める理由でもありました。
ヨガでもそうですが、その整体教室でも「呼吸」を大切にしていました。
呼吸が変わると生き方が変わるとまでいう人もいます。
呼吸というのは、身体の内側の動きを、心臓の鼓動や内臓の動きと違って、唯一、自分の意志でコントロールをすることが出来ます。肺や横隔膜の動きをコントロールすることが出来るという意味です。
呼吸は、心身全体の調和をもたらすため、それを意識的に行う為の様々な呼吸法があります。ゆったりと深呼吸すると心が落ち着いたり、すがすがしい気持ちになったり、というのは誰でも経験があるかもしれませんね。
でもですね、わたしも呼吸法習ってやってみたんですが、体の呼吸筋と言われる呼吸をするための筋肉が硬かったり、胸椎という背骨の動きが悪くて、なかなかゆったりとした気持ちの良い呼吸というのが出来ないでいました。そりゃ、何年も気苦労を重ねていれば胸椎も固くなるっていう状態でした。
そこで、ヨガに加え整体教室へも通って、呼吸をしやすい体にしようと思いついたんですね。
ちょうど、その辺りの時に、ふとあるテレビ番組を見たんです。テレビ東京という東京ローカルのTV番組で、宇宙のなりたち、というテーマの短い番組でした。
地球は、ビックバンが起きて、大量の酸素が放出されて微生物が育ち、氷河におおわれ、またビックバンが起きて、大量の酸素が放出されて、前回の微生物が少し成長し、また氷河におおわれ、またビックバンが起きて、大量の酸素が放出されて、微生物が魚になり、氷河になり、
ビックバン→大量の酸素→微生物の成長→氷河・・・これを繰り返し、人間が出来上がりとうお話でした。
どうして大量の酸素が放出されたかは未だわからないようですが、私はここで大きなヒントを得ました。
もしかして、私の受精卵も大量の酸素があれば胚盤胞までいくのではないか?大量の酸素があれば、胎児、ひいては子供にまで細胞分裂することができるのではないか?というヒラメキでした。
このヒラメキがあって、呼吸を研究したり、酸素を上手に取り入れるには、どうしたらよいのか?という研究が始まりました。
やはり呼吸には、精神様態が大きくかかわります。
落ち込んだ時、猫背でうつむいていたら胸いっぱいに吸うことができないですよね。
逆に、心が晴れやかで上向きの気持ちなら胸を張って呼吸もしやすいはずです。
姿勢という意味では、視点が近いもの、スマホを見るなどの行為は呼吸を浅くしてしまいます。
整体やヨガでまずはこのあたりの姿勢や硬くなった筋肉をほぐすことからはじめました。
同時に骨盤周りの動きをよくすることで、子宮や卵巣に血流を流しやすくすることもやっていました。
この頃には冷え性もすっかり良くなり、一見、元気ハツラツな30代後半になっていました。
つづく。