はなの妊活日記

27歳で結婚した私が41歳で出産するまで

33歳 高齢出産が気になりだす

こんにちは。

 

旅行から戻ると、大ちゃんの頭痛も微熱もなくなりはしなかったけれど、通常と言える日常が始まりました。

 

引っ越し当初は、生活のセットアップ、新しい友人知人との出会い、日常の買い物、街の風景、街の匂い、全てのことが新しく刺激的な中、無我夢中で新しい環境に適応しようとしていました。その頃に比べると、旅行後は、生活が多少落ち着き、ほっとした時期でした。

英語が全く通じない国で、自分の言いたいことが言えず、ノドが詰まる感じがとても苦しかったので、現地の言葉を習得すべく語学学校にも通い始めました。現地の言葉がカタコトでもできるようになると、あの看板は何が書いてあるのか、バスや電車の時刻表も読める、理解の幅が広がっていきました。日常の買い物も対面販売でも憶することがなくなり、街で出会う人とも軽い会話はできるようになり、何より自分の言いたいことが言えるようになり、生活の質がグッとあがっていきました。

 

毎日は刺激があって、文化的な楽しみもあって、週末にはLCCという格安航空会社を使い、安い時には片道3千円、高くても1万5千円という価格で、簡単にパリやミラノに出かけて買い物や観光をして、駐在のストレスを発散していました。

 

そんな生活を続ける中、駐在生活も3年目を過ぎ、私も33歳になっていました。35歳から高齢出産になるのはわかっていたけれど、駐在の期間は、いつ終わるのか、あと何年続くのか知らされることはありませんでした。

この時に、インターネットで調べた統計で34歳からガクンと妊娠率が下がるグラフを見つけました。心の中ではヤバいな、と感じていましたが、現地は医療事情も悪く、医療用語の現地語もわからず、初産する勇気もなかったので、夫婦で話し合い、今は2人で身軽に旅行をしたりして、二人の時間を楽しもう!ということで落ち着きました。

 

この時の決断は、これで良かったと、今でも思っています。

 

ライフプランや家族計画をしっかりたてること、こどもが欲しいと思うならなるべく早くした方がいいこと、妊娠率の低下などを考えると、「こどもはいつか・・・」ではなく若いうちから計画的に考えないといけないのは頭ではわかります。でも、その時の状況でそうもいかなかった、それが私たちでした。

 

そしてようやく駐在5年目、帰任の辞令が出ました。4年目くらいから、生活に飽きてきていたこともあり、まだかな、まだかな、と待ちに待っていた辞令でした。

この時、私は35歳になっていました。