はなの妊活日記

27歳で結婚した私が41歳で出産するまで

心を凍らせて4回目の治療 顕微授精

こんにちは。

 

3回目の治療(体外受精2回、顕微授精1回)も失敗に終わりました。

 

3回目までは、「次こそは!?」という気持ちもありました。

でも「努力すれば報われる」というこれまでの価値観も木っ端みじんに砕かれ、

大ちゃんもいないのにひとりで治療することもすごく空しかったです。

そして、自分で決めたとことはいえ、海外と行ったり来たりとはいえ、日本にいる間は無職の1人暮らし。

ひとりの夕食など、ほんとーーーーに寂しかったです。こどもが出来なくて旦那さんが亡くなっちゃったらこんな感じなんだろうな。。。などと根暗なことを考えていました。

 

幸い近所に友達が多くてホームパーティーも盛んだし、趣味の友達や独身の友達と時々ワイワイとして気を紛らせていました。

まだ30代だったけど、老後はますます友達が大事だな!とこの時から実感しています。

 

この頃は、治療が上手くいかなくて、心は砕けているんだけど、「治療を辞める=子供を諦める」という思考に陥っていて、もう一回、力を振り絞って顕微授精を挑戦することにしました。

 

やり方はこれまでと同じでした。

HMG注射をしに毎日、病院に通い、採卵日を待ちます。

 

そして採卵日。

今度は12個採卵できました。今回も子宮環境を休ませるため、すぐに移植はせず、1か月後の移植です。でも、また胚盤胞まで育たなかったんですね。

 

お値段70万円です。ちーーーーん、です。

 

これまでトータル何百万円使ったんでしょうか。

この時、家や車を持っておらず現金はあったので、金銭的にはまだ続けることはできました。でも、もう自分の心が限界でした。

 

不妊治療の辞め時って人それぞれです。年齢で区切っている人、いくらまでと金額でくぎっている人。私の場合は、自分の心がもう無理だとなって辞めました。

 

そこで大ちゃんと話し合いです。

やっとゆっくり話合いました。海外と離れていたので、時差もあり、電話で話す日もあればメッセージだけの日もありました。

このメッセージのやり取りというのが、私たちには今までにない方法でセンシティブな話し合いに功を奏しました。私も考えをまとめてからメッセージを書くし、男性も文字で見たほうが理解がしやすいようですね。

 

私の気持ちは子供はあきらめられないけど、治療をするのはもう無理だということ。

大ちゃんは、家族(私)の幸せが自分の幸せだから、なんでも協力するといってくれました。

これまで流産したときや治療が失敗に終わった時、泣いている私に対してどこか冷静な大ちゃんに違和感を感じていました。私は夫婦なのに他人事みたいで寂しかったんです。

でもそれは、大ちゃんは「二人で落ち込んだらダメだ」と思っていたから。ということもメッセージのやり取りでわかりました。

女は共感したい生き物なんだけど、大ちゃんなりの気遣いもわかって再び心を通わせることが出来ました。

 

そこからは、じゃあどうやったら治療をしないで子供をつくることができるのか、ということに注目していきました。

私の問題点は受精卵の細胞分裂が止まってしまうことなんだけど、ではどうやったら細胞は分裂していってくれるのか。

どうやら細胞分裂を促すためには卵子の質を上げるしかないようだ。

では卵子の質を上げる方法はないのか、と探し始めました。